心臓の手術の傷跡が、私の胸の真ん中に大きくあります。
Vの字のシャツやセーターは着た事がありません。
水着は選ぶのが大変でした。
未だに温泉では上半身の前をタオルで隠してしまいます。
普通は下半身隠しますよね…。
家族以外にはどうしても見られたくありません。
それほどコンプレックスです。
視線が傷で止まるその瞬間の相手の表情が苦手です…情けないとは分かっていても、気持ちはどうしようもありません。
私の子供時代、身体測定は上半身裸でした。
担任の先生も何の配慮もなかったなぁ。
私の傷が露わになることで、クラスメートの興味を引きました。
子供は残酷です。
傷跡を毛虫みたいという男の子。
あまりにそのままの表現に固まるしか出来ませんでした。
自分の母親から私の手術の件を聞いた女の子は、私を前にしても、合っているような合ってないような内容を笑顔で鼻高々に知ったかぶりにみんなに説明します。
何が言いたいのだろう、とその度に思ったものです。
どちらも嫌だった…その件触れずに普通に接して欲しかったなぁ…。
下を向いて話が終わるのをひたすらただただ待っていました。
今なら、病気や障害に対して、親も理解ある人も多いしと思いますし、学校側も多少は配慮があるとは思います。
それでも今も平然と思いやりのない言葉をかける子はいるんでしょうね。
いつの時代もある事です。
弱者に優しい時代になってきているとは思いますが、もっともっとなって欲しい。
それでも、小学生時代の私は頑張っていました。
どうしても虚弱で欠席は多かったですが、勉強の成績も良く学級委員にもリレーの選手にも選ばれ、書道や作文も学校代表で入選したり、入学式や学芸会でピアノの伴奏もしました。
でも、頑張っても頑張っても母に言われて自信が無くなる言葉がありました。
「あんたはハンデがあるんだから、他人より頑張って当たり前。」
病気を持って生まれると褒められることは無いんだなぁ…と子供心に思ったものでした。
そう言われる度に、大きな壁に当たっている気持ちになり、萎縮していきました。
母は、自分の身内に心臓病はいないから、父側に原因があると言いましたが、父側にもいませんでした。
どちらのせいでもないですが、母親になった私はこう思いました。
私なら自分を責める…と。
それが母親ではないのでしょうか。
「あんたを妊娠中に風邪薬飲んだから、あれが原因かな~。」
と簡単に言われてから、本当に母が苦手になりました。
疾患を持っていたり障害がある事を
『個性』
と言う事。
こういう風に親に言われたら、もっと前向きに自信を持って生きてこれたかと思います。
大人になったら、自分で切り開く事は出来ると思いますが、幼少期に根付いた心を変えるのは、なかなか出来ないものです。
萎縮癖は、今になってもなかなか治りません。
上を向いて生きて行きたいなぁ、とは思ってはいるんです。
まだこれから頑張ればいいんですよね。