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DV夫の浪費の始まり

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熟年離婚

父の自死の後、

弁護士を通してとはいえ

姉との闘いもあり

その頃私は心身共に極限でした。

周りには父の死だけを伝えていました。

実家が遠かったので

葬儀の様子が分かるわけでもないのもありましたが

『自死』だなんて

誰も想像もしません。

ただ父親が亡くなってちょっとふさぎ込んでいる、

くらいにしか見えないでしょう。

そんな中、私を奮い立たせる出来事がありました。

小学生の娘が

個人スポーツで県で優勝したのです。

父が亡くなって2カ月も経たない時でした。

その後も娘の快進撃は中学生まで続き

地元では有名な選手となります。

夫は

娘が活躍する時は試合に現れ周りに自慢はしましたが

試合の結果が良くないと平気で娘を罵倒するような言葉を発しました。

そんな環境でも娘が頑張れるように

私が娘を支えると私は心で強く誓います。

父の遺産は

結局姉の割合が多く

弁護士費用の支払いも差し引いて

私の分が入金されました。

そのお金は当時小学生の娘でしたが、

いざとなったら娘の大学の費用に充てようと思いました。

娘の父親は

自身は大学を出ているのですが

娘の教育に関心がありませんでした。

娘の習い事や塾に対しても理解が無く

説得するのが大変だったので

学費の件で反対された時、

娘のために役立てようと思いました。

両親の遺産は

姉が普通に両親と接していれば

両親はほとんど姉に渡したかったかもしれないので

割合は少なくても受け取るのは複雑な気持ちでした。

結局私がずっと両親を支えたし

法律で決まっている事なんですけどね。

子供の頃からの家族の関係性って

怖いほど引きずります。

いつも私は遠慮していたもんなぁ。

私の両親の実家へは幼い娘を連れて行き

幼いながらも娘は協力してくれていたので

何れ娘に使うのであれば

私の両親も納得するのでは、と思いました。

ところが

夫から

家のローンの返済に私の両親の遺産のある程度を充てるように強要されました。

『家族なんだから当然だろ。お前、もう誰もいないんだし。』

と、言われました。

当時私は色々あっても結局は身内がいなくなり

心細くなっていたことと

親からの遺産は

『特有財産』

である事も知りませんでした。

遺産を家のローンに無理やり充てさせられてしまいます。

夫は

そのお金を充てにして

贅沢な休日を過ごすようになったのです。

週末は泊まりでゴルフ三昧が始まります。

そして娘の全国大会の出場が決まり

私は娘のサポートで忙しい日々を送り始めます。

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