もう会うことはないたった一人の姉

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家族

私には7歳離れた姉がいます。

子供の頃、小さな私の手を繋ぎ自分が車道側になり歩いてくれた、姉の手のぬくもりを今でも覚えています。

歳が離れていましたが、一緒にドライブや旅行や食事、買い物に行き、ふざけてじゃれたり仲の良い姉妹でした。

私は姉が好きでした。

母は姉を溺愛していました。

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おっとりとした優しい姉は、母に反抗する事もなく、母に守られ大切にされていました。

母は健康な姉の成長や喜ぶ様子が生きがいでした。

母は姉の事がとにかく自慢で、姉の話をする時は満面の笑みになり目をキラキラさせていました。

姉は所謂普通の人なので、かなりの親ばかでした。

私は心臓の持病があり、「ハンデのある子」「100%ではない子」と母に言われ、健康を持っていない事で、母のお荷物でした。

「何でこんな身体で生まれちゃったのかしらね…。」

という母の言葉で萎縮していった私でした。

母は、姉の時はPTAの役員をしていましたが、私の場合は授業参観すら来た事がありませんでした。

因みに姉も私も成績は悪くはありませんでした。

私の授業参観には、当時同居していた父方の祖母がよく来てくれていました。

祖母が来るのは珍しく、私の祖母にだけ先生が椅子を用意してくれていました。

もちろん祖母が来てくれたのは嬉しかったのですが、私以外は母親が来ていたので、やはり母にも来て欲しかったのです。

帰ると、家でテレビを観ている母がいて、いつも愕然としていました。

来られたのに、来てくれなかったんだ…と。

祖母が私の事を可愛がっていたのもあり、ますます私への興味が無くなっていきました。

姉が結婚して暫くしてから、母と姉の関係が変わり始めました。

母は、姉が結婚しても姉の事を絶えず心配して姉の家の電化製品や生活用品、食料品等を購入して渡していました。

姉の名義でせっせと積立もしていました。

私にはそういう事は一切ありませんでした。

姉が結婚しても、母は姉とは人生を一緒に歩んで行くつもりだったのです。

姉は母からの援助が当たり前になり過ぎたのか…。

母の愛情が重たかったのか…。

姉には、私には分かり知る事もない苦しみがあったには違いありません。

経済的な援助は受けるだけで、実家に寄り付かなくなりました。

父が事故にあっても、母が病気になっても…。

駆けつけるのは遠方で暮らす、私ばかりになりました。

決して私は優しいのではなく、私がごく普通の娘の行為でした。

姉はいったいどうしてこんなに両親を毛嫌いするようになったのか…そして心配すら出来なくなってしまったのか…理解できませんでした。

姉に直接抗議すると、

「あんたも世話をしなくていい。」

と言うだけでした。

母は遠方の親戚には姉が世話してくれている、と伝えていました。

私がやった事も姉がやった事にしたり…。

それが母のプライドであり見栄でした。

でも、ご近所の目は騙せませんでした。

実家は交通の便が悪かったので、車の停まっている様子で誰がいるか分かりました。

遠距離ナンバーの私の車を頻繁に目撃していたのです。

いつも来ているのは次女さんだけ…と言われるようになりました。

次女は車の運転が好きで来ている、と母はご近所や親戚に言うようになりました。

因みに、姉は車で15分の所に居住していて、私は4時間かかりました。

私は車の運転は苦手で、まだ娘が小さい時でした。

実際かなり無理をして通っていました。

母が亡くなる最後の最期まで、姉はほとんど病院にも来なく、母は亡くなりました。

亡くなる少し前に、母は私に謝りました。

「あんたにこんなに世話になると思わなかった。ごめんね…。」

と。

その頃、ようやく親戚の一人に、私がずっと世話をしていた事、それを姉がやったようにみんなに話していた事を打ち明けました。

そして、ずっと冷たくしていた私に悪い事をした…と。

その後母が亡くなって一年も経たずに、最愛の父は姉との確執で自死してしまいます。

その件で私は姉と絶縁になりました。

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