道しるべの女性

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家族

私は今50代ですが、ずっと子供の頃からの可愛いあだ名で私の事を呼び

可愛がってくれている女性がいます。

血は繋がっていませんが『おばちゃん』と呼んでいる人です。

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元は母の友人でした。

私が産まれた時から私の事を知っています。

私のオムツも替えた、とよく言っています。

子供の頃、近所に住んでいて、

私は一人でよくおばちゃんの家へ遊びに行っていました。

おばちゃんにも子供が二人います。

姉と同世代で、私より6~8歳年上の娘と息子です。

自分の子供の世話もあっただろうに、

私が行っても笑って受け入れてくれました。

おばちゃんが夕飯の買い物に行く時は、手を繋いで一緒に行きました。

自分の子供は家でお留守番です。

一緒に帰り、おばちゃんは夕飯の支度をします。

その横で、私は絵を書いたり算数のドリルをやったりしていました。

テレビのついている部屋で何気なく過ごす時間でした。

夕飯が出来る頃、私は家に帰ります。

そんな日々が続いていたのを今でも鮮明に覚えています。

おばちゃん一家が遠くに家を建て、引越して行きました。

その後も私の両親も含め、おばちゃんとの縁は切れず、

要所要所で会っていました。

冠婚葬祭はほとんど親戚の扱いでした。

私が結婚をして、遠方で暮らしてから少し疎遠になりがちになった時期がありました。

その頃、母がおばちゃんに失礼な態度を取り、

私の両親とおばちゃんの付き合いが薄れていました。

異変を察知した私はおばちゃんとの連絡を密に再開しました。

私は母とは相性が悪かった事もあり、

母の悪いところを熟知していました。

大らかな寛大なおばちゃんが、

母に確執を持った気持ちはおばちゃんの話を聞いてすぐに理解しました。

明らかに母に非がありました。

私の両親が亡くなった後は、

母親代わりと言ってくれ、困難な事が起こる度に気持ちに寄り添ってくれました。

おばちゃんの大好きな素敵なところは

相手の話をよく聞いてくれ、

必ず気持ちに寄り添った正しい意見を言ってくれるところです。

厳しい意見もありますが、最後は必ず肯定の気持ちを入れてくれます。

母はいつも私を否定していたので、そこがとても私にとって有難ったのです。

どんな話もすっとおばちゃんには出来たのです。

そしていつも私の道しるべとなってくれました。

常に親世代の唯一の相談相手として私は過ごしてきました。

いてくれて当たり前でした。

おばちゃんが癌になってしまいました。

連絡がありました。

力の無いおばちゃんの声が、事態の深刻さでした。

それでも、私の現状の心配ばかりしていました。

泣かない私の目から涙が止まりません。

米寿のお祝いをしたばかりなのに…。

おばちゃんが送ってくれたお菓子が寂しいです。

与えてもらるばかりでごめんね、おばちゃん。

私はおばちゃんにまだ恩返ししていない…。

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