結婚した相手は地方出身の人だった。
それまでの私は自分と同じ東京又は東京近郊の出身の人のみが主な身近な人たちだった。
親戚も東京近郊と大阪近郊で所謂都会の人ばかりだった。
それなりには地元へのこだわりや執着もあったけど
周りがほぼ同じ価値観に囲まれていたので、
ふるさとへの思いは強くなかったかもしれない。
その人は自分の出身、地元、実家へのこだわりがとても強い人で
全ての価値観がそこから。
芸能人、政治家、ニュース、学校、有名人等
自分と同じ地元、同じ地方であれば
全てを褒めたたえて、同意を求められた。
特に思い入れの無い私は否定はしないが生返事。
それが精いっぱい。
私はそういうこだわりも偏見も何もなかったから仕方ない。
かなり方言の強い地方だったので
その人の実家へ行くと言葉が聞き取れず苦労した。
親戚みんなで話していると
何も聞こえず外国のようだった。
あまり聞き返すのも失礼かと思い出来ず(そもそも聞き返しても相手にしてもらえなかった)
笑ってごまかしてその場を過ごしていた。
そういう時間は実際の時間の経過よりもずっとずっと長く感じた。
次第に年月が流れ、
だんだん私も方言が聞き取れるようになっていった。
元々料理は子供の頃からする機会が多かったので、
郷土料理には興味があった。
美味しい物は単純に美味しい。
義母は料理をしない人だった。
苦手だったのだろう。
食事はかなりの手抜きだった。
季節の料理も作らないし、お正月のおせち料理も無い家だった。
よくお惣菜が並んでいた。
親戚のお宅で出る料理は美味しかった。
その人の実家へ帰省した際、郷土料理のお店へ行くのは楽しみだった。
結婚するまでは縁の無かったその地元の料理にも私は詳しくなっていった。
自宅でも作れる料理も増えた。
美味しく作れるようになっていた。
でも、もう作らない。
料理を思い出すと美味しさも思い出すが
思い出したくない事も思い出す。
料理に全く罪も無いし
気にしなくていいのは分かっている。
でも、わざわざ作ったり食べても
嫌な思い出でもう美味しくは食べられない。
食べなくても全く困らない。
もう私は二度とその地は縁なく一生を過ごすだろう。
どこかの物産展で見つけた時に
少し思い出す、
それくらいで充分だ。
世界には美味しい料理はたくさんある。
思い出も料理もこれからまた他のステージで増やしていこう。