病院の待合室でも帰宅しても、退職の文字がずっと頭の中にありました。
私こんなになるまで、我慢してたんだ…。
我慢癖がついちゃったのかな…。
ハゲなきゃまだ我慢していたよ…お腹痛くても、眠れなくても…。
本当に悲しくなりました。
ショックは大きいもので、まさに下を向いている自分がいました。
悲し過ぎて涙も出ません。
円形脱毛症になる仕事なんてしたくない。
あんなとこ、行きたくない。
そんな会社にいたらバカ!まだわからないの?
と言う私。
でも、50代でこのコロナ禍。
言い換えれば、円形脱毛症になるほど我慢して頑張って尽くしてきた会社。
非が無いのになんで辞めなきゃならないの?
私が辞めたらまたKさん放置で、残った人を会社は守るんだ…。
辞めたら責任も取ってもらえない。
何か出来るのかな…。
よく考えよう。
ネットで調べよう。
誰かに相談しよう。
早まってはいけない、
という私。
この先も働いて一人で生きていかなければいけないんだから。
デートから帰宅した娘に相談すると、
「辞めた方がいい。他にも仕事はあるよ。そんなになる会社にどうやって行くの?留まるだけが勇気じゃないよ。新しい事へ飛び込まない逃げでもあるでしょ。」
と言われました。
心配して言ってくれているのは重々承知です。
暫く私が働かなくでも自分がなんとかするとまで言ってくれました。
娘の気持ちは有難いけど、そんなに負担はかけられません。
娘には娘の人生があります。
そして20代の娘には今の私の心情は分かりようもありません。
若い時は限りない未来があります。
実際限りはあっても、限りないんです。
私だってそうでした。
社会の中での私は、もう限りのある少しの未来しかありません。
50代の私はこの先どこかで雇ってもらう場合、一般的にはあと10年くらいしか働けません。
これから先、元気な老人が増えて少し伸びる可能性がありますが、楽観視は出来ず、現実を見ないといけません。
キャリアがあるわけでもなく…体力があるわけでもなく…です。
無職になれる立場ではありません。
ハゲたけど…ハゲたけど…。
無職になったら、もっと追い込まれるかもしれない…。
考えがまとまらず、とりあえず暫く休むという選択をしました。