自死家族② その日

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自死遺族

父が自ら命を絶ったその日、

私は娘のスイミングスクールの付き添いでプールの傍に設置してある見学席にいました。

夕方を過ぎた夜に近い時間でした。

学校のクラスが同じ子が同じスクールに通っていて

その日はその子のママから送迎を頼まれていました。

姉から電話がありました。

姉は淡々と迷惑そうに事実を話してきました。

警察から連絡があったと。

立ち上がって電話を取った私でしたが

腰が抜けてしまいました。

我に返り近くの椅子に座りました。

座っていてもクラクラしてしまいました。

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水泳が終わった子供たちがこっちを向いて手を振っていました。

震える気持ちをどうにか抑えながら

手を振り返し

二人を車の後部座席に乗せて帰宅の準備をしました。

よそ様のお子さんを預かっていたのもあり

とにかく無事に家路に着く努力をしました。

家に帰宅してどこか様子のおかしい私に気付いていた娘は執拗に質問してきます。

私の尋常ではない様子に質問攻めでしたが、

おじいちゃんが死んだ事のみを伝えました。

お世話になっていたおばちゃんに電話をしました。

暫く絶句後

数日前に誰かから無言電話があり

もしかしてと思い、父に電話したけど出なかった、

と言いました。

私に連絡しようと思っていた、と。

私は亡くなる前日にも父に電話をしていました。

たわいのない話をした後に

姉一家との暮らしを聞きましたが、大丈夫としか言いませんでした。

父専用の固定電話を設置していました。

父が気兼無く私と電話出来るように、父と私で決めて設置しました。

毎日のように連絡を取る約束をしていました…

その日も娘のスイミングから帰ったら話す予定でした。

なのに…。

父が命を絶つ直前の数日間、同居していた姉夫婦が警察に呼ばれました。

その後連絡が入り

「頭にきたから、今、家族で居酒屋来て飲んでいる。あいつ、迷惑かけやがって。」

と姉が言いました。

これでもかというほどの姉の暴言が遠くで聞こえて

悲しみという言葉では表せないくらいの気持ちで

私はどうにかなりそうでした。

もう私には姉を諭す気力はありませんでした。

夜になってしまったので、

遠方で暮らしていた私は翌日に父のところへ向かう事にしました。

準備をしながら

明日からがもう何も見えなくなっていました。

そこから何日間か食事が全く喉を通らなくなりましたが、

家族の食事の準備をしなければなりませんし、

どんな時もやらなければいけない事はあります。

自分が壊れそうな事を抑える事が出来たのは

母親だったからだと思います。

数人の親戚と葬儀を行いました。

火葬場に向かうその日は晴天でした。

頭も目も上に向けられない私は

火葬場に向かう車の中で

充血して膨れ上がった重たい目と空っぽの頭を下に向けていました。

全ての景色は景色ではありませんでした。

車が大きく左折した時に車の動きで顔が上がり

綺麗な桜が目に入ってきました。

あまりに綺麗で眩しくて

父の悲しみとはあまりに対照的で

とめどなく涙が溢れました。

世の中の人は幸せとは言わないまでも

普通の日常がある。

こんなに綺麗な季節に、

悲しみの世界にいた父は

この世から逃げてしまって

私は残された…。

私を置いて逃げた父の裏切りと

一線を越えてしまった父の深い悲しみを想像すると

頭の中が破壊されそうでした。

そんな時におどけて見せた姉を見て

もうこの人とはお別れだと思いました。

父の無念を生き残った者が穏便にしてはいけない、

そう思いました。

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