自死家族① 父との別れ

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自死遺族

まさか自分が自死家族になるとは思いませんでした。

おとなしい父でしたが、

そういう心配はしていませんでした。

自死をする人は、私の知らない世界の人だと思っていました。

そして自死をする人は

残された人の事を考えない寧ろ良くない人だと

どこか思ってしまっていました。

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アルコール依存症であった姉の言動は

父を攻撃する事に対して躊躇など一切ありませんでした。

お酒の入っていない昼間でも

父に対しての言葉の暴力は激しく

年老いての一人暮らしの父の生活は全く心配せず、父のお金の管理だけはしようとしていました。

義兄は高収入の人なので

姉は他力本願で贅沢が身についてしまっていました。

父の年金を充てにして義兄の収入でも払いきれない広い新築のマンションを購入し

同居数日で父は自ら命を絶ちました。

姉との同居を反対していた私は

私の説得に応じない父をどうにもできなくなり

父の友人でもあり私も親しくしている夫妻に助けを求め

同居をやめるよう一緒に説得しました。

その女性は私の道しるべになっているおばちゃんです。

元々は母とも友人でしたが

母の自慢の長女(姉)が自分たち両親を嫌っている事が恥ずかしくて

母はおばちゃんを避け

姉の行いを隠していました。

でも、私とおばちゃんとの繋がりは途絶えていなかったので

相談出来ました。

最後の最後まで

おばちゃんたちと私で反対しましたが

父は姉のところへ行ってしまいました。

それでも、

私とおばちゃんは何とか父を支えようと

父と連絡を取っていましたが、

父は私やおばちゃんの反対を押し切った事で

私にもおばちゃんやおじちゃんにも本音を言えなくなってしまいました。

本当は私と同居するのが良かったのです。

父が

「姉妹が逆だったら良かった。」

と私に言った事もありました。

色んな意味でだと思います。

私が父と同居するには

先ず離婚が先決だった。

その頃の私は結婚した相手からDVを受けながらも機嫌を取りながらの生活をしていました。

そんな中で、姉に対して金銭的な援助を断れない父を

専業主婦だった経済力のない私が守れる自信がありませんでした。

自分の毎日でいっぱいいっぱいでした。

寧ろ助けが必要だった…。

なので、せめて父と寄り添って生きていく方法を模索していました。

近隣にいても世話もせず来ることも無い姉、

遠方でも通う私。

誰が見ても私が寄り添った方がいいのは歴然としていました。

近所の人も見ていてくれ

私が来る事を見守ってくれていました。

父も私の状況は理解していて

私と娘の心配をしていました。

お互いに抱えている非情を話していたし、

父を支えて支えられていく未来しか考えていませんでした。

心配していたものの

まさか父がそんな事をするとは想像していませんでした。

静かな父でしたが

私の父が弱い人だと思っていませんでした。

少なくとも私という存在があれば

生きる希望はあるものだと過信していました。

大人だからといって

完璧ではないし正しい事が分かる訳でもないし

強い訳でもない。

充分大人の年齢になってから分かることです。

大人だって弱いのです。

心が壊れる事はあります。

寧ろ年齢を重ねる事で

自信が無くなり助けや支えが必要になるのです。

父の心が想像を遥かに超え

壊れてしまったことを理解していなかった愚かな自分を

父を失ってからようやく気付いた私は立ち直れませんでした。

そんな時でも

気配りもない結婚した相手との生活は

どんどん私の心を落としていきました。

支えは娘でした。

父の件で再確認した事は

絶対に娘を不幸にしない事。

父はもう心が壊れていたから

私の事は考えられなくなっていたのでしょう。

でも、残された私は一生傷を背負っているのです。

それさえも考えられなくなってしまった父を最初は許せませんでしたが

時が経つにつれ

思い出すのは優しかった父との日々です。

でもね、私は娘にはこんな思いを死んでもさせない、

改めて思います。

どんなに辛い事があっても寿命は全うしなければいけないんです。

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