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DV夫との出会いから結婚、出産までの道のり

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熟年離婚

出会いは学生時代。

大学のサークルでした。

シーズンスポーツのサークルで、主人は3年生、私は短大1年生の時でした。

私は江戸っ子の都会育ち。

主人は東北の出身。

私は全くタイプではなかったのですが、主人から積極的にアピールしてきました。

私は主人の素朴な感じが新鮮で付き合う事にしました。

そして私は短大を卒業。

主人は留年したため、私の方が先に社会人となりました。

その一年後主人の就職が地方になり、そのタイミングでプロポーズされ、結婚しました。

ほとんど学生結婚です。

当時私は「好きだ。」を連呼され、この人より他にこんなに私を好きになる人はいないと思いました。

若い頃にありがちな錯覚ですね。苦笑

そして何より心臓の手術の事をすんなり話せた事が結婚を決めた理由でした。

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結婚して初めて私の地方での生活が始まりました。

程なく私もパートでの仕事を見つけ、社宅にも地元にも慣れ、時には口喧嘩もしましたが、時々旅行にも行ったりして仲良く暮らしていました。

そんな中、数年に一度主人の仕事が転勤があるため、何度か引越をしたりする度に環境が変わり、子供を作るタイミングが難しかったという事がありました。

そして結婚8年でようやく妊娠しました。

やはり地方に転勤で引越した一か月後でした。

全く知人もいない土地でしたが、総合病院で出産する事にしました。

私は心臓の事があるので、心臓外科のある所でしか出産は難しかったからです。

頻脈、貧血、高血圧と妊娠中毒症ギリギリの妊婦でした。

前置胎盤にもなり、厳しい妊婦生活となりました。

主人も子供を欲しがっていましたので、こういった事に理解があると信じていたのですが…。

自由に二人で遊べなくなってしまった事、私が働けなくなってしまった事等に苛立つようになりました。

私が私の身体、お腹の赤ちゃんの事優先になったのが、気に入らなかったのです。

何より自分が大事の人なので、それが叶わなくなったからでした。

この頃は直接私の身体に暴力はなかったのですが、気に入らない事があると椅子を投げつけたり、物にあたるようになりました。

でも、私は無事に出産する事が第一だったので、機嫌を取りながら暮らしていました。

体調の悪い私でしたが、もうすぐ会える我が子が愛おしくて仕方ない日々でした。

お腹に子供がいる女性とそうでない男性とは、子供が産まれるまでは親になる実感が違うのは多少は仕方がないです。

でもこの人は父親になるべきではない人でした。

※このカテゴリーは過去の話から順に綴っています。

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