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別居の必要性・時間の重さ

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熟年離婚

家族は日常を共に過ごす。

一緒に暮らしていれば

同じ物を食べて飲んで

トイレやお風呂に順番に入って

何気なくテレビを一緒に観ていたり。

たとえ生活のリズムが違っても

同じ家の中で

朝、起きて

寝る時間もだいたい把握。

そして

一緒に暮らしていなくても家族。

諸事情や子供が独立したりして

離れて暮らす事もある。

でも

それぞれの日常を確認し

連絡を取り合い

お互いを話し

健康を気遣う。

連絡を取り合う事に躊躇はない。

毎日の中に

相手の日常の姿が頭にある。

どんなにいがみ合っていてもある相手の日常は

家族の証。

別居は

その日常がなくなる。

お互いの日常を知らない。

連絡も取らない。

それは

家族でなくなる事を加速させる。

いない事に違和感がなくなる。

いない事が日常になる。

さすがに別居当初は

少しは気になった夫の日常。

でも

人間は本当によく出来たもので

嫌な事は記憶から消したいらしく

時間が経てば経つほど

どんな事をしているのか

全く気にならなくなった。

姿もあまり思い出せないくらい…だ。

厳密に言えば

私の頭が思い出したくもないのだろう。

何より

いない事に違和感がなくなり

寂しくない…

関係がない人になっていく。

『離婚』

いう文字があんなに重かったのが

どんどん軽くなっていく。

損をしても

あの人が全くいない世界で生きていきたい。

書面の名前すら見ない世界で生きていきたい。

別居は

その人がいない方が良い人生を送れる未来を

確認出来る期間となった。

それは

別居=時間

だからだと思う。

私は特別情が深い訳ではないけど

理由はどうであれ

家族がどんどんいなくなる人生が

ただなかなか耐えられなかった。

時間が経っても寂しい相手もいるが

夫の事は

寂しいとは思う訳もなかった。

別居して

相手の大切さが確認出来るケースもあると思う。

その場合は

後悔しない行動を取れば良いと思う。

別居=時間は

自分の気持ちを冷静に確認出来る手段だ。

離婚を前に

気持ちがしっかり固まった。

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