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自死家族⑦ 絶縁の念書

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自死家族

両親のうち、先に亡くなった母のお墓参りに行っていたのは

父と私と孫である私の娘の3人でした。

お墓は実家から100キロ以上離れている所にあり、

高齢の父一人ではなかなか行けず

父と私と娘

又は

私と娘がお花とお供えを持参して

命日やお彼岸等にお参りしていました。

実家と私の自宅とは方角が反対のため、

一番行っていたのは

私と娘の組み合わせ。

母方の親戚も眠っているお寺なので

親戚も寄ってくれた人もいました。

姉はただの一度も行きませんでした。

そして、母の一周忌も理由をつけて

姉一家は来ませんでした。

それでも、

父は最後まで自分たちのお墓を姉に託していました。

『長女』

という理由と

高額の墓守代を何年も前に既に渡していたからです。

そして

姉たちもお墓を買わずにいづれ入れるので

姉たちにとっても経済的だという理由からでした。

そんな両親の思いを姉は充分知っていたはずなのに

両親を無縁仏または永代供養のお墓に移そうとしていました。

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私が墓守を主張するか散々悩みましたが

おばちゃんやいとこに反対されました。

墓守は姉が両親から託されて、

両親が決めた事。

おばちゃんもいとこも知っていました。

遺産もあまり受け取れない私がそこまで

背負わなくていい、と。

姉がこんな事をするとは思っていなかったにしても

二人が決めた事だからと。

その後、親戚がお寺さんから聞いたところ

姉は業者を頼んで

母を掘り起こし

何処かへ運送したという事でした。

お寺さんは呆れていた、と。

おばちゃんはどこからでも手を合わせればいい、

と言ってくれました。

私は充分頑張ったのだから、と。

たくさんたくさん考えて出した結論。

姉を溺愛して甘やかし続けた挙句

世話をしないどころか実家に寄り付きもしなかった姉を庇い続け

私が世話した事も姉がやった事にして親戚に話していた母。

結果、姉のわがままを受け入れ続け

拒絶出来なく追い込まれて自死した父。

私が結婚相手からDVを受けている事を話しても

助けてはくれなかった両親を

私は支えました。

生前の両親が困った時に

私は自分の生活を犠牲にして助け続けました。

もう力尽きました。

姉と接するのも疲れました。

私は自分も大きな悩みを抱えていました。

もう自分のこれからを考えたい、と思いました。

両親がどこに眠っているか私は知りません。

でも、命日、誕生日、お盆、お彼岸を

大切にして過ごしているから…

特に娘の事は守ってね。

弁護士を介して

私の希望である

私と姉の絶縁の念書を

交わしました。

姉とはもう会う事はなくなりました。

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