彼女との友人関係の始まりは20代後半の頃。
元夫の海外赴任先。
異国の地での妻友が始まりでした。
一緒にいる事が楽で、だんだん私個人の友人となりました。
私が離婚問題で数年間大変だった時に、状況を話していたほんの数人のうちの一人。
伏せておきたかったけど、当時、会うと別居状態の夫の近況の話をされてしまうため、話さざるを得ませんした。
事情を知ってからは、彼女のご主人を含めて、私に寄り添ってくれました。
元夫は難しい人。
彼女のご主人は陽気な性格で、元夫とは個人的な付き合いはありませんでした。
私にとって会う約束が負担にならない数少ない大切な友人の一人。
彼女と久しぶりに食事をしました。
その時にそれまでなかった違和感。
話が合わないのです。
彼女の口から出る話題は、ご主人、子供、親兄弟、そして、姪っ子甥っ子の事。
もちろん、私も娘の話はします。
私が何度か仕事の話をしても、頷くだけで、また家族の話に戻ります。
家族のお金の話。裕福な話の数々。
以前からこうだったか、考えてみました。
若干はありましたが…
傾向が強くなっていたのです。
彼女は結婚してから、ずっと専業主婦。
家事をしっかり担って家族を支える専業主婦は、立派な仕事です。
私たち世代はそうしてシニア期になっている人がたくさんいます。
私も専業主婦だった頃があるし、こんな感じ方をする自分自身に驚きました。
変わったのは私。
私の毎日が変わり、価値観が変わり、受け方が変化したのだと思いました。
そして、相手を受け入れる範囲が、思っている以上に狭くなっている自分。
夫婦は価値観や生活感に共通性がないと、毎日に『我慢』が増えます。
友人との間にも、この価値観は大切なのだと改めて感じました。
そして、歳を重ねて狭まっていく心の受け皿。
私の心の扉が狭い事の実感。
気兼ねのなく話せると思っていた彼女との時間が、いつしか、話が途切れた時の沈黙が辛い関係になっていたのでした。
優しい言葉をたくさんかけてくれる大切な友人。
その気持ちは変わりません。
今の生活の幸せの様子を話す彼女。
聞けば聞くほど本当に彼女は幸せなのか、と捻くれた事を思ってしまいました。
私は、大変な人生だったけど
今は幸せ。そう見えないかもだけど。
自分の力で生きる自由な毎日。
誰の顔色を見ずに。
不安になったり、寂しい時もあるけど
幸せな生活を話す彼女から
幸せを感じられない私は、器が小さく捻くれた人間なのかもしれません。

