3.11帰宅困難になり、一緒に歩いた人がいました。

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日常

今日で10年。

私は仕事中でした。

都内の古い職場の建物は大きく揺れました。

業務連絡の電話中でしたが、ただ事でない揺れに、とりあえず相手と『切電しましょう。』となりました。

同じ部署の仲間と、一緒に行動しようとなりました。

外に出ようとなり、みんなで建物の玄関辺りに出たのですが、また大きな揺れ。

道路の電柱が揺れ、建物はギシギシ言っていました。

外を歩いている人たちは唖然として立ちつくしていたり、悲鳴を上げている人もいました。

暫くして揺れが収まり建物の中に入りました。

ロッカーの中の携帯電話を取り出し、遠方の学校に通っている娘に電話を入れましたが、繋がりませんでした。

責任者が会社の固定電話からなら繋がるかもしれないと、家族に連絡取れない人は安否確認してもいいとみんなに言いました。

結局固定電話からも娘の携帯には繋がらなく、私は中途半端のみの仕事を済ませてから、とにかく帰宅する事になりました。

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駅に向かう途中で買い物をしたお店の人から、電車が止まっている事を聞いて、急いで行ってみると、やはり止まっていました。

駅には大きなスクリーンがありました。

そこには目を疑う映像が流れていました。

津波の映像でした。

テレビの映像でしたが、アナウンサーも言葉を詰まらせていました。

駅で大勢の人がその映像を観ていましたが、誰一人と言葉を発していませんでした。

何が起こっているのか、その映像が現実なのかもみんな受け入れられない状況でした。

私は暫く映像を観入った後、電車が止まっていたため、バスでなんとか帰宅の手段を取ろうと考えました。

バスは動いていたのですが、長蛇の列の上、なかなか来ませんでした。

どうしようかと思っていたら、前に並んでいた女性が私に声を掛けてきました。

『バスが多い駅まで、一緒に歩きませんか。一人では寂しいので一緒に歩いていただけませんか。私は道が分かりますから。』

私は快諾して、最初少し話した後、ほとんど無言で目的地まで一緒に歩きました。

道はたくさんの人が歩いていました。

みんな黙って歩いていました。

目的地に着き、

『ありがとうございました。お気をつけて。お元気で。』

と、言葉をお互い交わし、別れました。

私は運よくバスに乗れ、家から徒歩30分くらいのところまで辿り着き、コンビニにも寄れ帰宅出来ました。

ほんのひと時でしたが、一緒に歩いてくれた女性を私はこの日に思い出します。

お元気でいて欲しいです。

その節はありがとうございました。

お声を掛けていただいたお陰で無事帰宅出来ました。

東北は大変な事になっていました。

日本中で悲しみを背負いましたが、被災者の悲しみは想像を絶します。

3.11はこれからもずっと日本人が祈りを捧げる日です。

忘れてはいけない。

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